1点差で迎えた9回裏
2死、2・3塁
セカンドに高々とフライが上がった・・
ボールを掴めば試合終了。
落としたら逆転サヨナラ。
まさに試合が決まる最後の打球です。
学校の応援、地元の期待、チームの誇り、、、全てが宿った、その白いボール。
僕が二塁手だったら、捕れる自信がありません。
しかし、勝ち進んでいった球児は平然と捕球します。
この何でもないプレーのために、どれほどの修羅場をくぐってきたか。
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甲子園の夢が、かなう、かなわないは別として、その存在は全国の球児の心の支えです。
勝負の先の甲子園をめざして、どれほどの努力を重ねてきたか。
夏の甲子園の開会式を毎年必ず見てきました。
全国から集まった選手たちは場内を一周し、外野に横一列に並ぶ。そして一斉に前進してくる。
あの姿に毎年泣いてしまう。
場内に流れる日本の夏のテーマ曲ともいえる「栄冠は君に輝く」。
内野まで選手が前進し、演奏が止まった瞬間、「お前たち、もう戦わなくていいんじゃないか」と思ってしまう。
ここでジュースで乾杯して別れようぜ、って。
しかしもちろん彼らは戦う。たった一校の「全国制覇」を目指して。
各地で独自大会が開催されることになりましたが、彼らが夢みてきた夏の選手権大会は失われました。
かつて「甲子園」という歌を作りました。(1983年)
夏の高校野球は全国制覇の一校を除き、全ての高校が敗れ去る。しかし、負けるのはたった一度だけ。そんな歌です。
でもこの夏の球児たちは、甲子園という夢を追いかけるチャンスすら与えられませんでした。
夢が目の前から消えてしまった。
ぼくらには想像出来ない喪失感、さみしさ、苦しさだと思います。
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17、8歳の高校3年生にとって、幼い頃から追いかけてきた甲子園は、「人生のすべて」ではないでしょうか。
そんな彼らにいまこんなことを言っても、理解してもらえないかもしれません。でも、、、
「あの時に甲子園がなくなったから、俺はいま、ここにいるんだ」
いつかそう誇れる人生になることを祈っています。
人生は本当に長いので、いまこの瞬間の悔しさも、やがて笑える時がきます。必ず。
去年2月、「存在理由」という歌を作りました。
良い知らせばかりではないTVのニュース速報に、「わたしは諦めない」「あなたを護るために わたしに何が出来るだろう」と歌詞に書きました。
歌を作ったとき、今のコロナ禍を予知していたわけではありませんでしたが、自分たちの夢と引き換えに社会を守ろうとしている高校3年生に、この歌を届けたい。
コロナ禍は起きてしまいましたが、この先の人生を諦めないでほしい。
今夏の大会の中止が決まる前、僕は「たとえ中止になっても、今年を飛ばして来年を【102回大会】と数えてほしくない」と思っていました。
来年は【103回大会】になると聞きました。
甲子園なき夏が始まりました。
しかし今年の球児たちの、君たちの、第102回全国高等学校野球選手権大会と、その地方大会は確かに存在したのです。
頂点を目指し、たった一度だけ負けるチャンスすら与えられませんでした。
しかし・・
君たちは、誰も負けなかったのです。
さだまさし
(朝日新聞 東京版 「甲子園2020」より)