11月17日(水曜日)🌞 獅子座流星群
石切体操のあと新大阪で蕎麦を食べて、彦根で近江鉄道に乗り換え、愛荘町に来ています。
ふれあい本陣という町営の宿でのんびり。
ガッテン(朝たん)見ながら書いてます。
★睡眠中タンパク質は免疫やホルモンなどに使われ、筋肉が壊されている
朝にしっかりタンパク質を摂らないと(出来れば20g以上、牛乳コップ1杯で5g)
筋トレをどんなにしても筋肉は減ってゆく〜〜 老化による筋肉量の減少が激しくなる〜〜
朝目覚めて早めにたんぱく質をしっかり摂ることが大切👌
そう言えば金さん銀さんも朝からしっかり肉食べてた(笑)
話逸れました😅
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江戸時代、彦根藩の庇護を受けた近江上布。
その柔らかさと使いやすさで大好きな布です。
その工房で明日から3日間、機織りをします。
機織りは18年ぶり。
近しい友人にすら話さず封印していた40才の9ヶ月。
私の心にコロナは影響ないと思っていましたが、人生初のパンデミックで心の底が液状化現象を起こしたようで。
ガチっと固めていた底が緩みました。
コロナに血栓、病に自然災害に戦争、
いつどうなってもいいように、9ヶ月のことを記録としてここに残しておこうと思います
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◉退職
大きな組織に20年勤めて退職したのは、仕事が嫌でも人間関係で悩んだわけでもなく。。
退職時の仕事は一人で任されてて土曜日こっそり出るほどやり甲斐を持ってました。
人間関係もいたって良好。
飲み会も楽しかったし🍶
このまま安全圏で60歳までつつがなく勤めあげるんだろうなと思ってました。
でも。。。(>_<)
プライベートではずっと大きな葛藤や悩みを抱え続けていて、心の底ではいつも自分らしい生き方を模索していました。
花✖️花の歌じゃないけど
自分のことが惨めで弱くて可哀想で大っ嫌いでした。😠
こんな自分のまんま60まで勤めあげて何の意味があるんだろう?
人生も自分も一から構築し直すためには、この豪華客船から下船するしかない!
突然退職を決めた夜に退職願を書いて、翌日仕事のあと係長に渡しました。
年末締切の退職届を出したのは1/26。
人事をえらい慌てさせました
係長はしばらくポカーン
やっと出た言葉が「なんで??」
その翌日から廊下でも食堂でも「辞めるんやって? 何で??」と聞かれてほとほと困りました。
あかん、納得してくれる理由を考えないと。
その頃、週に一度、法隆寺の工房で機織りを習っていたので、そうだ!染織の職人になろう!と😁
どうせなら一流のところで学びたい!
染織の世界で一流といえば川島織物。
着物や帯だけでなく、フェスティバルホールの緞帳や、ベンツの座席シートも作っている。
そこの学校に入ろう!
すぐ入学申込みをして、既成事実を作り
「染織の専門学校に行くから退職する」と言えば何となくみんな納得してくれました(笑)
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引っ越しの荷造りをしながら、引き継ぎと年度末の仕事で残業続き
特に3/31はめちゃくちゃ忙しくて
挨拶回りもそこそこに、スーツ着てバタバタ、花束横に置いて少し残業
キャトルセゾンのキャビネットも飛騨高山の家具も何もかも譲りました
ほぼ処分して身一つで4月2日に京都鞍馬に移住
川島テキスタイルスクール「本科生」の生徒になりました
9ヶ月間に撮った写真をフォトブックにして残しています
(昨日施術合間に適当に中の写真何枚かをスマホで写真撮りました)
◉川島テキスタイルスクール
叡山電鉄で鞍馬の3つ手前、「市原駅」徒歩7分のところにあります
本当に気持ちの良い学校でした。
(市原駅)
*学校の入り口
*通学路
*学校からすぐのワンルームに暮しました
*大阪から連れてきた子
18年前は小さっ!
今ではこんなにおっきくなりました
◉入学式
本科生は23名。
一流の講師陣とともに。
周りは10代20代。
私一人が40才(^_^;)
既に他の専門学校でテキスタイルを学んだ子、
デザインの世界で賞を取り活躍してる子、
伝統文化の染織家の家業を継ぐ子、
などなど
みんな本気でした❗️
お勤めしかしていない40才。
しかも退職の言い訳に適当に決めた入学。
そりゃ頭打たれます(>_<)
いきなり最初からどんどん課題が出ました(>_<)
◉最初に出た課題が
『2時間で一枚の和紙のテクスチャーを変えなさい』
は? テクスチャーってなに???
隣の19才キリちゃんに聞きました
「うーん、見た目とか手触りとか質感とかかなー」
考えて考えて作ったのがこれ
とにかく切り込みを入れまくって葉っぱみたいにしました
先生に一番褒められたユウちゃんの作品(焼いてる)
授業と課題と。とにかく忙しくて。
帰宅しても夜中まで考えたり作業したり勉強したりの毎日。
制作で頭がパンパン。
23人のうち2人が夏までに辞めて、秋にも2人辞めました
(私が年配で落ちこぼれだったからか、悩んでる子らからよく相談されました)
◉デッサン(一番苦手)
◉夏休みの宿題 「造形制作」
『世界で一つの面白い帽子を3つ作りなさい』
落ちこぼれの私が
なんと!信じられないけど!
みんなが作った帽子を学校が京都のコンテストに出したんです
そしたら
3つのうち1つが京都の小さなデザイン賞をとって、ギャラリーマロニエに飾られたのです(°_°)
それがこれ
①透明なつぶやきの帽子
ホームセンターで透明のテーブルクロスを買って→
帽子の型紙に切って→
思いついた言葉を刺繍して
(裏も見えるから1画ずつ玉結び)→
手で帽子に縫って完成
②屑籠からの帽子
ゴミ箱から集めたもので作りました
写真のモデルは一番仲良くしてたアイコちゃん❤️
③ちまき帽子
私はこれが一番好きでした
アイコちゃんから誕生日にもらった手作りポーチは今ハワイアンボールを入れています。
デザインと並行して、本来の染織をずっとやってました
*糸を染める
*機を織る(縞の着物を1反、13m織る)
(ミョウバン、錫、鉄、銅など、媒染剤で全然違う色になります)
染めは人間国宝の染織家、志村ふくみさんの一番弟子の大山先生にも学びました。
◉着尺
*着物の縞のデザインを考えるだけで3日かかりました
一本の線が何ミリかをきちんと測り、
1ミリに何本の縦糸が入るかを計算し、
✖️13mで各色の糸の重さを計算し、
全ての色を自分で染める
機織りは「縦糸を張る」作業が物凄く大変なんです
縦糸を張ったらもう8割終わったーって感じ😀
機織りはかたたんかたたんと無心で織るのが一番楽しい作業。至福の時。
でもそれまでが長いんです。
最後の50cmで絣(かすり)の練習
糸で縛り染まらないようにした白い部分を手でずらして柄にする
大変な作業。
着尺、完成
みんなとっても素敵な縞を織ってました
◉組織織り
頭がパンクしそうな緻密な計算の連続
◉西陣の帯に使われている技法「綴れ(つづれ)織」
練習
自分の描いた絵を綴れ織
(サロンに飾ってます)
◉他にもいろいろ織りました
◉羊毛(スピニング)
羊1頭の毛をみんなで洗濯し、みんなで櫛でとぎ、みんなでハイジのおばあさんのように糸車で糸にしました
🐑羊毛から糸紡ぎ、織りまで
◉フェルト
羊毛を洗剤で何度も洗うとフェルトが出来ます。
自作したフェルトで何でも作っていいと❤️
いろいろ作りました
◉造形制作
他にもいろいろたくさん作りました
造形って、アイデアが浮かばないときは、とことん浮かばないのです💦
🍄卒業までに一つ研究論文を発表しないといけなくて
私は「柿渋染め」(タンニン染め)の研究をしました。
チームでもいろいろ作りました
川島織物は京都の伝統文化の一端を担っているので、染織の博物館もあります。
誰でも入れますよ。
一度だけ心友が京都まで来てくれて連れて行きました
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5月の葵祭りと夏の祇園祭
川島織物の生徒は特別に舞台裏も見せてもらえます。
染織の話も職人さんからたくさん聞けました。
京都の祭りは伝統文化のオンパレードなのです🌸
秋には修学旅行も。✈️
沖縄へ行って紅型や芭蕉布、宮古上布、琉球絣などを見学しました。
(生徒の1人は卒業して沖縄に移住し芭蕉布の職人になりました)
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ものづくりで生きていこうとしている仲間たち。
個性はありましたが本当に良い子たちばかりで、苦手な子は1人もいませんでした。
特に仲良くしていたアイコちゃんは卒業してすぐに独創性のオブジェで全国の賞を取りました。
ほんまによくぞものづくりド素人の40おばさんをみんな仲良くしてくれました。
元ソフト部の子が2人いて、休日はたまに空き地でキャッチボールもしました⚾️😁
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授業は12月で全て終了。
1月2月は「卒業制作」。
3月に毎年京都市美術館で「川島テキスタイルスクール本科・卒業制作展」として作品が展示されます。
しかし父の癌のことで私は12月で学校を辞めました。
卒業制作は「唐桟織(とうさんおり)の着物を織る」と決めていたけれど、泣く泣く京都を引き払って大阪に戻りました(T . T)
お別れ会をしてくれて、みんなに泣かれました。
この夜のことは一生忘れられません。
入学からずっと「むうさん」と呼んでくれて、最後に本当の名前や苗字を聞かれました(笑)
卒業後、染織やデザインや造形の世界で著名になり活躍してる子もいます。
大学の講師になった子も。
私は。。。才能がなくて染織の世界で生きてはいけなかったけれど
でも
世界は違えどやっぱり感覚を研ぎ澄ます手仕事をしています。👋
ほんとうに
ほんとうに
夢のような9ヶ月でした🌈
■川島テキスタイルスクール
https://www.kawashima-textile-school.jp/
🌷2〜3日のワークショップもありますよ。
川島のドミトリーでの宿泊も出来ます。
食堂のご飯も美味しいですよ。
私もいつかまた訪れたいです。
■テキスタイルワークショップ
https://www.kawashima-textile-school.jp/workshop.html
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経済的な理由で大学には行けなかったけど、40才で学生を経験出来ました。
あれは夢だったんじゃないかと思うくらい。
あまりに大きな思い出すぎて、気楽に話せなかった。
大切に大切に自分の中に仕舞ってました。
でも最近不思議とよく思い出すのです。
それで思い切ってとても好きな近江上布の工房にお手紙を書いて、3日間機織りをさせてもらうことになりました。
18年ぶりの機織り。
もう工程とかすっかり忘れてます。
一から学びます。
施術とは違うもう一つの手仕事。
少し緊張しますが、楽しみです。
憧れの近江上布。
■近江上布
https://www.kateigaho.com/kimono/53205/
■近江上布のオンラインショップ
https://omi-jofu.com/202105onlineshop/
上布のわりに安価で素敵な雑貨ばかり
珈琲、同じ豆、同じ量で比べましたが、ペーパーより深みが出て美味しく淹れられました。
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平穏に見えてもいろいろと清算をしているのかもしれないなあと思える今日この頃です。
9ヶ月のテキスタイル創作
その後のロイヤルホテルでの接客の真髄。
どちらも退職しなければ得られなかった学びです。
あの頃の大嫌いな自分とあの頃の全てに感謝です。
あっ このサロンのゴミ箱も「籠制作」の授業で作ったもの😁
もしテキスタイルをされてた方がいたらいろいろお話しましょう。
お勤め20年、学生、ホテル営業部、ハワイ、お勤めしながらムウアロハ2年、施術一本で生きて15年
いろいろやりました。
なんかもういつ死んでもいいやと明るく思います😁🌈