5月27日(水曜日) ☀️
さだまさし
「ひとりごと」より全文掲載
「緊急事態宣言の解除」を受けて様々に思うこと
5月25日、緊急事態宣言が解除されました。
いやあ、良かった。みんなよく頑張った!
日本人の秩序の高さは世界に誇れるものだ!!と手放しで喜びたいところですが実のところ、皆さんと同じに、正直に言えば僕はまだまだ不安です。
4月7日に緊急事態宣言が発出された時、僕は「自粛」は自由を護る為の戦いだ、と言いました。
日本は他の国のように軍隊が街道を封鎖したり、街角に警察が立つような国では無い、と言いました。日本は「自由」と「人権」の制約を許さない国である、と信じているからです。
(「自由」とはいびつなもので、どれほど困難な時期にでも「利己的に自分勝手に振る舞う」人は必ず居ます。とても辛い事ですが、残念ながらそれも「自由」の範疇なのです)
新型コロナの恐怖との戦いを「要請」=「お願い」で乗り越えて下さいというのも随分乱暴な話ですが「国民が人との接触を8割自粛することが出来たらコロナの第1波を一旦やり過ごすことが出来る筈だ」というお医者の言葉を信じ、この「自粛」は強制や罰則を伴う法律を作らせないための、自由を護る「戦い」と位置づけました。
心の中で、壮大で哲学的な「社会実験」であるとも思っていました。
さて。
新聞の紙面に踊った『全面解除』と言う文字を「全て解決した」と思うことは間違いです。
全く「全面」の解決ではないからです。
経済活動の再開は本当にありがたいし、息苦しい閉塞の部屋の窓が少し開いた気はするのですが、僕の胸の内ではまだまだ不安のほうが勝っています。
僕らの安心とは「何の心配も要らない」状況のことです。
たとえば僕達は今すぐコンサートを開くことは出来ません。
僕のお客様の生命を護る為に、簡単にコンサートを開くべきではないからです。
僕にとっては安全にコンサートを開くことが出来る日こそが本当の意味での「解除」です。
実際今の状況は「まず最初の衝撃波をどうにかやり過ごせたのかも知れない」という位置にあるに過ぎません。
まだまだ気を緩めてはいけません。
どうかくれぐれも無防備にならないでください。
とりあえずスペインやイタリア、またニューヨークの医療崩壊のように一気に悲惨な状況に陥るようなことだけは、
日本国民一人一人による「自助努力」によってどうにか避けられたの「かもしれない」という状況に過ぎません。
これから来る第2波、第3波への不安は何一つ払拭されていません。
医療機関をどのように護るかという具体的な手段や予算、第2波に際しての防御法や対策、人々の恐怖を和らげ、安心の域に導く為の「よりどころ」の何ひとつ示されていません。おそらく国民の多くがそう感じているはずです。
経済は本当に大切なことだけれども、人は経済だけで生きるのではありません。
心で生きているのですから、その「心」を支える明確な「未来」とそのための「手順」が示されるべきだと思います。
指導者の言葉は世の中を豊かにもし、貧しくもします。
今こそ「言葉」が大切な時代だと思います。
ルーマニアの哲学者シオランは「人は国に住むのではなく、国語に住んでいる」と言う言葉を残しました。
まさに私たちが住んでいる「日本語」の崩壊が怖い、とも思いました。
「コロナ・ヒステリー」のストレスからでしょうか、SNSの匿名性という「(利己的)自由」の向こう側から投げつけられる陰湿で容赦ない罵詈雑言、誹謗中傷の言葉の冷たさにウィルス以上の恐ろしさを感じて戦慄します。
もう一度、僕自身も自分の言葉について、日本語について学び直そうと心から思います。
自分の生活を縁の下から支えてくれている人達に対する感謝と共に、新型コロナの教えてくれた大切なことの一つです。
まだまだ終わってはいない。
そう言い聞かせています。
5月26日の夜
さだまさし .
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今日、遠方の自宅で長患いしている友人を見舞いました。
やっと会えました。
「コロナでもう会えないかと思った」と泣いてしまいました。
「大げさな」と笑われました。
元気そうで安心しました。
帰りに少し足を伸ばして木々に触れました。
久しぶりの遠出でした。
ツバメ発見❗️
南の国から
5000kmの旅
ツバメは必ず同じ巣に戻ってくるので
戻ってこなければ旅の途中で命を落としたということ
(だからツバメは縁起が良い♥️)
空の巣を見ると胸が痛みます
5000km飛んできたんやなあ(>_<)
そして夏まで2~3度の子育て
近くに巣がありました
お母さんがヒナにご飯与えてました
ツバメ
かなり数が減ってるそうです